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NHK・JAPANデビュー④軍事同盟(記事スクラップ)

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4回は軍事同盟・国家の戦略。日本は150年前、西欧列強に軍事面でも追いつこうとした。英国との同盟によって日露戦争に勝利、第一次世界大戦で世界列強に仲間入りした。その後ドイツとの同盟から第二次世界大戦へと進んだ。

第一部は、日本海海戦で、ロシアのバルティック艦隊を破った。その式典は現在でも毎年実施されている。自衛隊横須賀基地では「測距機」という当時の高性能機が展示されていた。それは英国から輸入したもので、東郷平八郎の率いる艦隊でも使用した。最新の軍事技術をめぐる英国と日本の関係は現在も脈々と続いている。

明治36年、日本は英国と対等の条約を結ぶ。第三国が参戦した場合は共同でこれにあたるという項目がある。弱肉強食の世界で生き残りを図るには世界的な強国との連携が必要だった。当時英国もロシアを脅威と感じ、シベリア鉄道の完成によるとアジアもインドもロシアの手に陥るのではという危惧があった。

中国では義和団事件が勃発。英国は自国の兵士を守ることもままならなかった。また中国艦隊の維持にも膨大なコストがかかっていた。中国近海の海軍を最小限にする検討がなされて、日本との同盟が検討された。

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1904年2月日露戦争勃発。戦局は大国ロシアに対し小国日本が勝利する予想外の展開が続き、ロシアは大艦隊を派遣して一気にこの戦況を打開しようとした。ロシアに協力したのがフランス。バルチック艦隊は長い海路をフランスの植民地で補給をしつつアジアに向う予定だった。

しかしイギリスがこれに対抗し、同盟国フランスの協力が得られなくなり、燃料も兵士も寄航すらできずに、石炭の山の中で消耗していった。既に航海上で多くの死者が出ており、交戦前に体力も気力も消耗していった。

迎え撃つ日本艦隊は着々と準備を進め、バルチック艦隊を撃破して、圧勝した。

チャーチルも回顧の中で、日本の力を認めていた。

アメリカはセオドラ・ルーズベルト大統領が、日本とロシアが戦い可能な限り消耗することが国益になると判断していた。

日本は戦勝気分に沸いたが、アメリカの和平工作で、利が得られないことに世論は嘆いた。戦死者を出した遺族は大いに憤慨。国民に多大な負担と犠牲を強いたが賠償金は得られなかった。しかしながら満州の権益を獲得。南満州鉄道の権益がその主なものであったが、中国への返還時期が迫っていた。

この権益交渉を担うのが加藤高明だった。満州問題に強い懸念を抱いていた。1913年1月当時駐英大使だった加藤は英国外務大臣エドワースと折衝。満州権益を返還しないこともありうる旨を伝えた。エドワースはまだその時期ではないとした。

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第一次大戦が欧州で始まり、日本はドイツに宣戦布告し、チンタオに派兵。2ヶ月で山東半島を制覇。その2ヵ月後に中国に対し21か条の要求をつきつける。日露戦争によって得た権益を長きにわたって継続しようとした。

加藤高明はこの当時は外務大臣になっており、この要求を推進した。エドワースは中国の陸海軍に日本人を招聘する。など記載された第5号に強い不信感を抱く。中国を日本の保護国にしかねないという懸念を抱いた。

英国の要求で第5号が削られたが、その後最期通告で、21か条を通す。

アメリカもこの状況に危惧を抱いていた。

グリーン駐日大使は「戦争の苦しい局面を乗り越えるのがまず先決」と時間稼ぎをして、日本に対しては何もしないでそっとしておくことが選択された。

チャーチルも北海と地中海が主戦場で、アジアは日本との同盟で日本を必要としたときには日本が動くとふんでいた。

そこにドイツのUボートが連合国地中海艦隊の本部マルタ島に向っているとのことで、日本の海軍も地中海へと派遣されることになった。駆逐艦マツとサカキが向かったが、サカキがいきなり魚雷を打ち込まれて、近藤栄次郎大尉はマツからサカキに向かって救助にあたったが、その惨状は厳しいものがあった。

地中海での勤務は死と隣り合わせの業務となり、兵士は消耗していった。疲労も激しく近藤の日誌には詳細な記述があった。英国のためと思うと・・。と

五日市大尉は享年31歳。当時のままの軍服が郷里に残されている。

国家間の同盟ゆえに、遠い異国で失われた若い命、78人にのぼる兵士が命を失った。この第二特務艦隊が地中海に派遣されている間に、英国は日英同盟を否定する見解を出していた。「うわべだけの関係は長続きしない。われわれはアメリカとの協調関係を結んで、世界への影響力を維持していくことになろう。」と。

英国は着々とアメリカとの関係を深めていた。日本がアメリカを攻撃した場合、われわれはアメリカ側につくと明示され、明治以来継続されてきた英国との同盟は途切れた。

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日本が次に同盟を結ぼうとしたのがドイツ。Uボートの技術などは定評があったが、ドイツはまだ第一次世界大戦の後で、他国とのおおっぴらな軍事同盟は禁じられていた。水面下で動くしかなかった。ドイツは外交でロシアとも接近し、多面的な外交を行い軍事同盟を模索していた。

ドイツの再軍備を禁止するベルサイユ条約にもかかわらず、軍事開発を行なっていたドイツ。それはトラクターだとして実は戦車。誕生祝いだとして発射訓練が行なわれていた。

ドイツはソ連を兵器廠として利用しようとしていた。

1939年第二次世界大戦勃発後、ドイツは破竹の勢いで勝ち進んだ。

日本は近衛内閣の時代。ドイツと交渉し1940年日独伊三国同盟がベルリンで締結された。1941年3月松岡首相がベルリンを訪問するが。ドイツはバルバロス作戦を計画中で、ソ連との交渉を拒否した。

日独伊にソ連を加えてアメリカの参戦を防ごうという作戦は、うまくいったかに見えたが、英国は三国同盟に日本が加わることはアメリカの参戦を促すというチャーチルの警告があったり、松岡にもその回答を求められたが、対外進出の意思は変えなかった。

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当時レーダーが威力を発揮し始めていた。1939年波長10CMを出すことのできるマグネトロンが日本と英国でほぼ同じ時期に発明されたが、この開発競争が世界大戦の帰趨に大きく影響した。

ドイツは波長80CMの技術を開発。伊藤庸司大尉はドイツに入り、レーダーの施設を目にして、その技術を教えてもらう努力をする。ようやくその電波局を視察できるようになった。そこがケロック村。当時を知る老人が案内。防空レーダーが稼動していたという。伊藤は見たものを図に記載。ただし設計図はヒトラー総統の許可が必要とされ、入手できなかった。

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ドイツ側でも日本の要求を詳細に記録。知的資産の大売出しを要求しているがそれは間違いだと指摘しなければならないと文書に残されている。

波長80CMのレーダー技術を競っていたイギリス。アーチボルト・ヒルは空軍省でその研究を行なっていたが、アメリカでその技術を学ぶことは国益にかなうとして、アメリカの全面的な協力が必要とした。

「今我々が持つべきものは優越感ではなく率直な意見だ。」としてアメリカとの協力関係を選択していった。

こうしてマグネトロンがアメリカMITに研究委譲し、軍需企業レイセオン社にその量産を依頼した。

熟練工を必要としないマグネトロン生産が可能になり、戦局もソロモン諸島の戦いに初めて80CMレーダーが配備され、戦艦に搭載された。情報は緑色のふたつの画面に映し出され、全周囲レーダー、敵艦との距離がわかるなどレベルアップ。戦艦ワシントンはガダルカナルの戦いで日本艦隊の存在に気づき、霧島は砲弾を受けて自沈した。

211人の戦友を失った帆足さん。その悲惨な状況を語る。炸裂した弾が部屋中を引っ掻き回した感じだったという。

日本も80CMレーダーを開発したが安定したものではなく、このレーダーの精度の差異が大きく戦況を左右した。

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同盟とはどんなものか考える必要があると英国研究者。同盟はあっても同床異夢だという。

日本海海戦を祝う記念式典。現在の同盟国アメリカの第7艦隊隊長が招かれている。

戦後60余年、帆足さんは霧島の戦友を慰霊することを続けている。

戦後半世紀を越えてアメリカとの同盟を続けてきている日本。

他国との同盟で何を得るのか。いまなお続く重い課題である。

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